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女真文字(じょしんもじ、女真文: 60px、発音: )は、中国の華北、東北部に金(アルチュフ)を建てた女真族が使用した文字。女真大字と女真小字の2種類の文字があるとされる。 == 概要 == 現在残されている文字が女真大字か女真小字かは今のところ判明していないが、大字とする説が有力で、小字とは(下記の『吾妻鏡』や銀簡に見られるような)大字の組み合わせ文字のことであろうとされる。大字を基礎にして、音を表す部品を加えるなどの修正が行われている。 文献資料として、明代に編纂されたとされる華夷訳語のひとつ『女真訳語』があり、また女真文字を記した碑文や遺物も比較的(契丹文字よりは)多く存在する。一般にも手に入りやすい女真文字の研究資料として、Wilhelm Grube『Die Sprache und Schrift der Jucen』(Leipzig, 1896)=葛魯貝『女真語言文字考』(Tientsin, 1941)、金光平・金啓孮『女真語言文字研究』(内蒙古大学出版社、1964)、Gisaburo N. Kiyose『A Study of the Jurchen Language and Script: Reconstruction and Decipherment』(Kyoto, 1977)、金光平・金啓孮『女真語言文字研究』(文物出版社、1980)、愛新覚羅烏拉熙春『女真言語文字新研究』(明善堂、2002)、『明代の女真人──『女真訳語』から『永寧寺記碑』へ──』(京都大学学術出版会、2009)、愛新覚羅烏拉熙春・吉本道雅『韓半島から眺めた契丹・女真』(京都大学学術出版会、2011) 、愛新覚羅烏拉熙春『명나라 시대 여진인:《여진역어》에서 《영영사기비》까지』(경진出版、2014)がある。 現存の12件の女真大字石刻のうち、11件は12世紀から13世紀の金代に集中しており、1件は明代に属するものである。 # 慶源郡女真大字碑(金熙宗天眷元年または皇統元年七月二十六日) # 海龍女真大字石刻(金世宗大定七年三月某日) # 大金得勝陀頌碑(金世宗大定二十五年七月二十八日) # 昭勇大將軍同知雄州節度使墓碑(金世宗大定二十六年四月二十六日) # 金上京女真大字勸學碑(金世宗時期) # 蒙古九峰石壁女真大字石刻(金章宗明昌七年六月某日) # 奧屯良弼詩石刻(金章宗承安五年) # 奧屯良弼餞飲碑(金衛紹王大安二年七月二十日) # 北青女真大字石刻(金宣宗興定二年七月二十六日) # 女真進士題名碑(金哀宗正大元年六月十五日) # ヒリジャラ謀克孛菫女真大字石函(金代中晩期) # 永寧寺記碑(明成祖永樂十一年九月二十二日) 字形は、全体に正方形に収まる形をし、漢字と共通した部品が使われているなど、全体の構造が漢字に似ている。『女真訳語』に見られる文字の画数は10画未満で、隣国西夏の西夏文字のような複雑さはない。明らかに漢字から借用されたと思われる文字と、契丹文字由来と思われる文字、由来不明の文字等が混淆しているように見える。また、表音文字と表語文字が混在しており、表音表記も必ずしも一音節を表すとは限らず、音節文字としての法則は明らかではない。日本の国字とは相互に影響し合ってはいないと見られるが、「凩」に似た文字もある。書体には、楷書の他に草書も存在する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「女真文字」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Jurchen script 」があります。 スポンサード リンク
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